本当は馬で移動したい。速いし、可愛いし。

たまにウチのポストへ車のチラシが入ってるんですね。

ぼくは車を持ってるんですけど、軽の。たぶん…13年くらい乗ってるやつ。「大事に乗ってるんだね」と思うか「ぼろっ!お前、伊藤かずえでも目指してんの?」と思うかはわかりませんが、別にどっちでもないです。大事にもしてないし、伊藤かずえのシーマへの愛情みたいなのにも、まったくシンパシーを感じてないです。

 

昔からそうなんですが、ぼくはカッコいい車とかダサい車とか、わかんないんですね。車への美意識がない。人間を見て「イケメンだ!」とか「ブスだ!」とかは思いますけど、チョウチンアンコウを見て「なんて男前なんだ…」とかは思わないわけで、車に対してもそんな感じ。そういう視点で見れない。

だいたいタイヤ4つもあるじゃん。安定性への志向が強すぎるよ。やっぱりカッコいいものってのは不安定で危ういものだから。エルヴィスプレスリーしかり。

 

フォード社が大量生産しはじめてた頃なんてのは、単純に機能を満たせばそれで良かったはずですが、これは結局、需要がなくなっていきました。なくなっていったというか、売るためには機能性ではなくファッションとかブランドとかに頼るしかなくなりました。若者の車離れといいますが、そもそもそんな曖昧で時代精神に簡単に左右されるような部分で勝負してたら離れることもあるでしょう。

 

見る人を一目で虜にするエモーショナルな魅力を持つ、フラッグシップセダン

 

レクサスの新たな挑戦から生まれた、唯一無二のデザイン。フラッグシップセダンの風格とエモーショナルさを両立した独創的なフォルムをお確かめください

 

日本的なおもてなしの真髄を極め、モダンな感性とTAKUMIの技で構築したインテリアをお確かめください

 

以上は、レクサスのホームページに載ってある紹介文ですが、機能性についての言葉はひとつもありません。『エモーショナル』って二回も言ってるし『フラッグシップセダン』も二回言ってるし、挙げ句の果てにカタカナの言葉を思いつかなくなったのか『匠』を『TAKUMI』などとビジュアル系バンドのメンバーみたいな表記法にする始末。

 

車、あとマンションなどの広告も見てみるとおもしろいのは、手持ちの国語辞典が4ページしかないのかと思うくらいボキャブラリーが貧困であり、しかもその少ない言葉数で構成されるのはポエム的であり意味もよくわからない雰囲気一点突破の文章が作られている。

こういう高額な商品は消費者側も論理的かつ合理的な思考で購入を考えると思いがちですが、実際は違うのです。少なくとも、生産者側は消費者のことをそう賢いものだと捉えていない。というより、一般的に安価な商品ほど機能性や合理性をアピールします。

 

挟み分け

傷がつきにくく

しっかり挟める

 

これはぼくの家にあった未開封の洗濯バサミの袋に書かれている文章ですが、すべてのワードが機能性にのみ特化しています。エモーショナルな洗濯バサミなんていらないもんね。車でもいらないけど。

 

結局のところ、車に対する美意識が欠けているぼくは「走ればええやろ!」くらいにしか思ってないわけで、需要側と供給側の思惑が一致していないのです。洗濯バサミくらいシンプルならぼくの脳みそでも理解できますが…とはいえ洗濯バサミも別にいらないですけど…。

 

じゃあなにがいるんや?俺は?えーと、オムライスとか?たしかにオムライスがなくなったら困る。「明日からオムライスを食べたら死刑とします!」ってなったら嫌だ。法の目をかいくぐった闇オムライスとか食べたくないよ!絶対ケチャップが血液じゃん。こわい。

 

では、話は終わります。

 

 

おしまい