伊集院光は三度変身する

いやぁ、普通に昼寝してしまいましたね。今日は11月4日なんですけどね、祝日の振替でね、無駄に過ごしたなぁ。

 

YouTubeで音楽流しながら横になってたんですけど、アレって自動で次の動画が再生される設定になってるじゃないですか。ぼくのテーマソングであるカーティスメイフィールド「Move On Up」がかかってると思いながら寝てて目が覚めたら昔の「深夜の馬鹿力」が流れていました。どういう経緯を辿ったのかはわかりません。

 

伊集院光ってぼくの印象だと大まかに分けて三段階くらいに変化していったと思うんですよ。伊集院光といえば若い頃からラジオスターじゃないですか。昔の第一次伊集院光って、ラジオでの伊集院光の個性がテレビでもアジャストできると思ってたんじゃないかと感じてたんですね。マイナーでこれだけの才能があればメジャーでも通用するんじゃないかっていう。

 

でもそれはできなかったんですね。昔、ナンシー関伊集院光がテレビに出ているのを見て、その番組は観覧だったらしいんですけど、ラジオリスナーが観覧者のほとんどを占めてたらしいんですよ。んで、ナンシー関いわく「気持ち悪い」と。要はラジオでの内輪の空気をテレビに持ち込んだミスマッチが気持ち悪いってことなんですけど、まぁ、それはわからなくはないんですね。

 

ラジオの良いところでもあり悪いところでもあるんですが、どうしても内輪感は出ちゃうんですね。良い意味で言えばリスナーの没入度が上がるし悪い意味で言えば新規は入りにくい。別に先述の番組では伊集院光の責任ではないんですが、どうしてもそうなっちゃうんですね。

 

そして第二次伊集院光はラジオとテレビを明確に分けるようになったと思うんですね。白伊集院、黒伊集院とか呼ばれてた頃です。テレビでは芸人的ポジションよりタレント的ポジションを担うようになり、ラジオでは毒を吐いて…もっと言えばテレビに対してメタポジションをとってたと思うんですね。タレント的振る舞いを、ラジオの場で自ら茶化すようなトーク

 

この頃はリスナーとの距離感も明確に取り始めていたと思います。先日、勇退した渡辺くんとかいたじゃないですか。彼なんかは出待ちして構成作家に成り上がった人ですけど、そういうリスナーとの関係性はなくなる。これ、伊集院光が冷たくなったなんて話ではなくて、長期ラジオにありがちな特徴だと思うんですね。さっき内輪の話が出ましたが、ずっと内輪の結団力だけをエンジンに走っているといつかガソリンが尽きるんですよ。先細りしていくだけですから。

 

第三次伊集院光。これはもう最近の話ですが、再びテレビ(メジャー)とラジオ(マイナー)の区別を分けなくなったと思うんですよ。というより「伊集院光」という単一の人間となり、もはやメディアによるスタンスの違いがなくなってるんじゃないか。でもそれは第一次とはまた違う色合いを持っていると思います。朝の帯ラジオを始めたじゃないですか。ぼくも聞いたことありますけど、朝と深夜であまり違いがなくなっていると感じるんですね。意識的かどうかわかりませんが、少なくとも白伊集院、黒伊集院なんて区別はなくなっている。というか伊集院光ももう50ですよ、そりゃいつまでも尖ってられないという話です。

 

深夜の馬鹿力って昔はスペシャルウィークによく企画をやってたんですよ。でもやらなくなった。そして何年もコーナーがほぼ変わってないじゃないですか。これって朝や昼の番組のテイストに近いと思うんですね。ネタの内容はさすがに違いますよ、内容ではなく形式の話です。これが悪いって話じゃないんですよ、だって長いあいだラジオやってりゃ変遷していきますよ。

 

でももうリスナーも高齢化していると思うんですね。これはただの推測ですが、深夜の馬鹿力のリスナー平均年齢って30代なのではないか。深夜ラジオって10代20代がメインじゃないですか。いや、深夜の馬鹿力だって若い人も聴いていると思いますよ。平均年齢の話です。

 

長くなってしまいました。伊集院光はやっぱりぼくのなかではラジオスターなんですよ、だらだら話しちゃいますね。まぁたまにはね、ラジオの話もいいじゃないですか、ねぇ。

 

 

おしまい